菅野茂
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Template:クラシック音楽 菅野 茂(かんの しげる、1959年(昭和34年)5月3日 - )は、日本の作曲家で指揮者でもある。現在の福島県福島市飯野町青木生まれで、現在はドイツ・ラインラント=プファルツ州・アルテンキルヒェン郡在住。
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[編集] 略歴
故郷の地元や東京・ウィーン・ドイツのシュトットガルト・ルートヴィヒスブルク・フランクフルトの音大などで、嶋津武仁、西村朗、松本喜久雄、カール・エスターライヒャー、ヘルムート・ラッヘンマン、ハンス・ツェンダーなどに指揮や作曲を師事。1992年に最終的にシュトットガルト音楽大学院作曲科卒。その他、Template:要検証範囲。受賞歴は小さなコンクールから大きな奨学金もすべて含めて通算57回に及ぶ。電子音楽等を除く生楽器の作品数は、現在274曲。
[編集] 作風
拍節の強度に満ちた『七重奏曲 III 「タンツ・グロッケンシュピール」』、『室内協奏曲 VI』、『ピアノ協奏曲 II』など、シュトットガルトでの人智学クラブから学んだとみられるTemplate:誰骨太の構築感に溢れる作風が多い。恐らく創作の出発点になったと見られるTemplate:誰『ピアノのための「切片」第五曲』の書法には、過去の同じくシュトットガルトでの インドネシア人達とのガムラン音楽の活動やサロード奏者のインド音楽からその類似を指摘できる。
声楽作品のテキストはヨーロッパのほとんどの言語を網羅し、ラテン語は言うまでもなく古代ギリシャ語やフラマン語やカタロニア語などの「方言」などにも曲を付けている。長い合唱指揮の経験から、「小ミサ WVE-173」のように旋律も大変明解で歌い易く、場合によっては暗譜で歌うことも可能である。これは、どんなラインも歌いにくく特別の修練を要する前衛世代とは決定的に異っている。
現在アメリカのトッド・バッシュの台本による「あざらし」、アンデルセンの「みにくいあひるの子」、ジュリエ・ゲオルギスの「ジョージョー」を含む音楽劇やオペラの創造に関心を移している。またアニメを含む映画音楽や吹奏楽・電子音楽・即興演奏・邦楽・パフォーマンス音楽・ジャズ音楽・宗教音楽・などにも『作品』がある。指揮も単に管弦楽やオペラだけではなくて、少年少女合唱から大人の同声・混声合唱・現代音楽のアンサンブル・ポザウネン・コア・ウインド・オーケストラやライヴの映画音楽まで及ぶ。
ピアノ演奏・音楽批評などを含めて現代音楽の活動ジャンルは極めて広範囲に及び、その態度が良くも悪くも全体の作品様式に影響を及ぼし、芸術的な焦点があまり定まらない原因にもなり、全体像が把握しにくい要因になっている。これは、特定の楽派へ依存して同じタイプの作品を作りつづける現代音楽の不毛への、一つのアンチテーゼとみなすことができる。
[編集] 技法
作曲技法はセリエル音楽系や音響作曲系から出発し、その後ロシア的なアルフレード・シュニットケとは全く違う「多様式主義の試みを通過して、別な意味での多義形式にかなり近い様相を示すようになったが、一方オーストリアでのラ・モンテ・ヤングやジェイムス・テニーらとの出会い以降、単純アイディアによる様式も完全に投棄したわけではない。実際にデッテンハウゼンなどの小さな現代音楽祭などではエリック・サティのヴェクサシオンやヤングの作品の演奏に何度も進んで自ら参加している。
『編曲』行為の最大の要因は現代の極度に発達した楽譜の複写コピー技術やノーテーション・プログラムの最大の利点をそのまま自作の改作に応用している事である。従って、編成が異なれば構成感もその都度変容・進歩するものという姿勢で臨んでおり、改訂版の意味も同時にあって「どの編成で書いても同じ音」が鳴る人ではない。またそれに投入される作曲技術はそのコンピューター・プログラムの能力の範囲内をもってその作品と作曲者の様式を兼ねる事が多くなっている。素材の数が稀少な場合は一種の簡明なタブラチュアの形で記譜されることも多く、奏者の自由度が上がる傾向(「試行II"ノックとグリッサンド"(WVE-194,2001)」)にある。
近年とみに顕著になったのが「カンタータ第三番 神への賛辞(WVE-228,2005)」のように、様々な技法を「陳列」する多義形式、つまり「羅列形式、陳列形式」への挑戦である。当作品では十二音技法やノイズ技法などがカタログのように並べられてゆく。こうした傾向は「邦楽II(WVE-222,2004)」や「呪文(WVE-219,2004)」にも奏法の「陳列」という形で表面化している。かつては様式内の和声(「セミ・コンチェルト・グロッソ(WVE-168c,2001)」)、ピッチ(「Quaoar(WVE-210,2003)」)をさまざまに陳列していた趣向が、より進化を深めたものと解釈できるTemplate:誰。この系列における極端な一例が、「サブ・実験動物園(WVE-230,2006)」の最終セクションに豪勢な自作引用が全パートに同時展開する形で見られ、垂直的な合音関係にまで「陳列」が及んでいる。
恐らく日本人初のバセットクラリネット協奏曲(WVE-235,2006)」では、独奏バセット・クラリネットの深めの音質に各楽器が蔦の様に纏わりつく。彼にしては珍しく反復音形が目立つが、飽きかけたころに衝撃音でセクションを分断するなど、抽象度が強化されてきている。
[編集] 作品
作品の多くはショスタコーヴィチやヴォルフガング・リームと同様に即興的に短時間で書かれるため多作に走る傾向にあるが、逆に作曲的に暴走してしまう可能性も極めて高い。ポリフォニー的思索が非常に強く音色素材を最優先とし、楽曲の和声操作を軽視する傾向があり、これが保守・革新の賛否が分かれる要因になっている。引用やパロディー・ハプニング・微分音などの要素もふんだんにある。必ずしも特定路線の専門家を自認しておらず、演奏や教育効果を考えた使用法に留まることが多い。
主要作品は一晩分のコンサートを想定してチクルスを志向する事が多い。現在では大半が破棄されたピアノソロのための「物語(ミトス)」ですら、カタログはVII番から始まっている。巨大な管弦楽による約75分かかる第VI番までの「シミュレーション」約75分、第V番までの「プレイ・ステーション」(約85分)、第VI番までの「室内交響曲」集(全82分)、第VI番までの「室内協奏曲」集(約92分)、第VI番までの吹奏楽作品「実験動物園」(但しカタログには、第III番から出現、約80分)、そして種々の編成による第VI番までの「合奏協奏曲」(約74分)、第IX番までの「弦楽四重奏曲」(約100分)などがある。これらは個々の作品であると同時に、全体で一曲と見ることができるようになっている。折に触れて続編が書かれる「ワーク・イン・プログレス」である為に、最終的にどれだけの規模の大きさになるかは解っていない。
その他、さまざまな編成による7曲のオペラ作品がある。多作で速筆の彼が長期間を費やして完成させた唯一の大規模なオペラに、ゲオリギス原作の「ジョージョー」がある。近年は村田厚生などの日本人の演奏家にも好まれるようになり(2005年以降は日本音楽集団などの著名な楽団にも取り上げられている)、更なる活動の拡大へ向かって歩きつづけている。
[編集] 思想
かつての菅野作品は新しい複雑性とは別個に、演奏が非常に難解だと言われていた。クセナキスやニーチェの超人思想を思わせ、ルツェルン国際音楽祭のように部分的な演奏のみか、ダルムシュタット国際夏期講習のように何回でも演奏が中止になった例が非常に多い。音楽的資質のエレメントを絶対最優先するためにそう言う結果になったとされる。最近の傾向は4分の4拍子で四分音符が一分間に60の速度を示し、リタルダンドやアッチェレランド等の一切のテンポの変化がない物が多いが、これは単純に演奏時間を簡単に算出するため、また演奏を少しでも安易にするためにそう言う様式としての枠を設けることが多くなったが、この態度を取るようになってから素材の選択肢が急激に増加し、創作ペースも好調になった。
打楽器は完全に素材によって分類され、一般に太鼓類(皮:動物打楽器)・木質打楽器(植物打楽器)・金属打楽器(鉱物打楽器)と分けられていてTemplate:要出典範囲。この方向性は確実に室内楽分野で大きな業績を上げている。まだ三管編成の管弦楽であっても同質楽器は可能な限り一段の五線紙に書かれ、パート譜もまた1番から3番まで同じ譜面を使う事が多く、例えばフルート属ならば最近はわざわざフルートの最高音域を使い意図してピッコロ等を使わない事がその音楽の特徴の一つとする事が多い。そのため、急激な展開が秒単位では起こらず、地道に素材が熟成される作品が多い。
また生の演奏媒体と電子音楽などの混ざった作品表を嫌い、それぞれ別のカタログに表示される。所謂、経済性とわかり易さも音楽の内容と供に第一のモットーとしているが、同僚の譜面とは少しでも違っていたいと言うオリジナル性への野望は強固である。音楽の終り方も現代的に突然終止よりも寧ろクラシックに近い「終る」ような終止法も然りである。また題名のつけ方も同業者が興味を示すような分野を極力拒否し、絶対音楽的に「でっち上げ」とか「二重協奏曲」とか味気のない類を採るようになった。多作の作曲家はおおむねこの傾向に属する。
[編集] 出版
欧米の様々な出版社から作品が出版されており、なおかつ自身もWVE・Moderato・Musicを立ち上げ作品の普及に努めている。ガウデアムス財団付属図書館(現オランダ音楽情報センター付属図書館現代音楽部)で300を越える作品が閲覧できる。
